第5章  RUIN−el

 イブの街はどこもかしこも輝くイルミネーションで溢れていた。あいにく天気は小雨混じりのぐずついた空模様だったが、地下に潜ってしまえばそんなことは全然気にならない。
 地下を通ってデパートからサブナード、そして地下鉄へ。
 エネアはユーゼルにたくさんの窓を見せた。
 改札窓口、ショップのウインドウ、インフォメーションの掲示板、映画館のスクリーン…何もかもが初めてで、そのどれにもユーゼルは素直に感動した。
「どう?ユーゼル。人間の作ったものって、結構素敵でしょ?あたしはとっても好きなんだ」
 年若い魔女は花のように微笑む。
「人が夢を見るって書いて『儚い』って言う字になるのよ。人間はその儚い一生の中で精一杯夢を追いかける。だからこそ、きらきらした真実を沢山ちりばめて生きられるんだと思うんだ。もちろん、紛い物で満足してる奴もいっぱいいるけどね。あたしは妥協は嫌い。いつも本物でありたいと思うの」
 エネアの瑪瑙色(アーガット)の瞳がイルミネーションのように輝く。
「でもね、本物か偽物かを決めるのは自分。たとえ世界中がつまらない偽物だと言っても、あたしにとって本物なら、あたしはそれを、ずっと守ってみせるわ」
 アナタハ、チャントイキテイタ…。エネアは言葉を飲み込む。
 ユーゼルは、また嬉しそうに笑いながら少し考えて言葉を探した。
「えねあはカッコイイね。オトコマエ?あれ?チガウ。なんだっけ?う〜ん…」
「うふふ、オトコマエでいいわ。どう考えてもあたしの方がナイトだもん。さて、次はどこ行こうか?」
「失礼ながら、心優しい姫君にナイトは荷がかちすぎるのでは?」
 低く堅い、聞き覚えのある声がほぼ真後ろで響いた。
「えっ!?」
 反射的に、エネアは後ろを振り向く。
 背の高い男が二人、まるで気配を感じさせずに立っていた。
 濃紺のロングコートと品のいいレザージャケットは、ちゃんと人間界のもので、決して派手な作りではない。
 髪も瞳も日本人のそれを意識してちゃんと黒に変えてある。
 だが目立たぬようにとの配慮で掛けたであろう変身魔法(チェンジン・グルーン)ですら、二人の纏う強烈な色気までは消すことはできないようだ。
 モデルが、何かの撮影で来ていると勘違いした人々が、二人の後ろにすでに黒山の人だかりを作りはじめている。
「探しましたよ、エネアお嬢様」
 水の精霊は、周りの注目を浴びていることなどまったく意に介さず、エネアに微笑みかけた。
 土の精霊は、無言でユーゼルを睨み付けている。天使は怯えて、大きな身体を小さくしていた。
「ラッド、ヒーザー、どうしてあなたたちが?」
 愚問だった。水の精霊は、わずかに自嘲して淀み無い返事を返す。
「我々にとって…契約は絶対ですから」
「真吾が私たちを探せって言ったのね?でも、どうして…」
 言いかけて、エネアは先を読んだ。
 真吾は、わざわざ精霊たちに自分の行方を探させた。
 ユーゼルの目的が解っただけなら、携帯電話で済むはずなのに、だ。
 だとすれば、理由はひとつ。ユーゼルを捕まえたいからだ。
 内心の動揺を悟られるまいと、魔女は笑顔を作ってみせる。
 それは、エネアの母親、アンナローゼの若かりし日を思わせた。
「せっかくのデートなのに無粋だわ。叔父様に言いつけてよ」
「叔父上様には、逆にお誉めいただけるのではないかと。さあ、ご一緒にお戻りください。マスターがお待ちです。急ぎ、窓の掃除をしなくては、街が大変なことになるとおっしゃっておりましたよ」
 エネアの魅惑魔法をさらりと流し、水の精霊は愛しそうに微笑んだ。かつて、ラッド=ストームは、自ら進んでアンナの近衛をしていたことがある。アンナの結婚が決まった際、書斎にこもったまましばらく城に顔を出さなかったという逸話があるほどだ。
 柔らかな物腰ではあるが、その言葉には優柔を許さない厳しさが含まれていた。
「窓、見つかったの?ユーゼル行かなきゃ…」
 天使は立ち上がる。その時、突然、地下街の照明が目まぐるしく明滅したかと思うと一気にブラックアウトした。
 勢い、地下街はパニックになる。人々は叫びながら、非常灯の明かりを頼りに、我先にと地上に続く階段に殺到して行く。
 だが、電源は落ちているはずなのに、店に置いてあるTVやパソコンのモニターが生きていた。同じ波形、同じノイズ、花弁が開くように次々開いて行くウインドウ…。
 溢れ出る異様な気配に、ラッドとヒーザーは変身魔法を解き、エネアとユーゼルを守るように身構えた。
『ユーゼル…ユーゼル…何処にいる?』
 合成音とも肉声ともつかない声が、映像とともに街中の『窓』から滲み出した。
「?!…」
 モニターの映像に、一同は息を呑んだ。
 そこに写っているのは、紛れもなくユーゼルではないか。
 ただ一つ違うのは、窓の中のもう一人のユーゼルは、背中に大きな翼を持っていることである。
「…ルイネル…?」
 ユーゼルの唇が震える。掠れた声が、自分の名を呼ぶ相手の名前を結んだ。

 街中の『窓』がジャックされていた。ラッドの知らせを受けて、エネアのいる新宿の地下街に向かっていた真吾と遥都、そしてフェスは、東口駅前でその光景にぶつかった。
 巨大な液晶モニターに写し出されたユーゼルとそっくりな顔が、酷薄な笑みを浮かべ、消える。
 真吾は舌打ちをした。
「失敗、もっと早く気づくべきだった」
「真吾君?」
 地下から溢れ出てくる人の波に流されないようにしながら、遥都は真吾を振り向いた。
「言ったろ、ユーゼルは多分、ワクチンソフトだって。ウイルスとワクチンは二つ同時に開発されているはず。だとしたら、表裏一体に生まれたもう一人の天使がいてもおかしくないんだ」
「じゃあ、あれはユーゼルの双子の兄弟って事か?」
 フェスの質問に真吾は頷く。
「ああ、ウイルスの方の。つまり破壊の天使だな」
RUIN−el。都市を崩壊に導く天使。
「急ごう、今のままじゃユーゼルの方が圧倒的に不利だ。それはイコール、ワクチンが効かないまま都市機能が麻痺してしまうってことになる。ほっておいたら、東京どころか世界中がパニックになるぞ!」
そう言うと真吾は、押し寄せる人波に逆らって、階段を地下に向かった。


第6章  Christmas Carol

 点灯(ライティア)の魔法(ルーン)ががらんとした地下街の一角を照らしている。
 大きな蛍火のような光源は、そこに立つ人ならざりし者たちの姿を古い絵画のように浮き彫りにしていた。
 それは人の造り出す仮初の昼色とはまったく異種の、魔界の色。
 もしそこに残っていた人間がいたならば、間違いなく自分は別な場所に来てしまったと知覚したことだろう。
 魔界の住人たちは、今やその気配を隠すことなく、人間の心が生み出した『魔』と対峙していた。
「探したよ、ユーゼル。さあ、始めよう。僕達の最期のゲームを」
 もう一人の天使−−−ルイネルは、微笑んだ。
「僕達は生まれた瞬間から、お互いを消すために大きくなってきた。どちらかが消えなければ、ゲームは終わらない。そうだったね?」
「ルイネル…」
 ユーゼルの顔に絶望と恐れが滲んでいた。
 同じ顔のもう一人の自分がもたらす威圧(プレッシャー)に、なす術もなく立ち尽くしている。
 破壊の天使は、誇示するように輝く翼を広げてみせた。
「君に消されたくない一心で、僕はこんなに大きくなったのに…心配するだけ無駄だったね。どうやら君は、成長できなかったみたいだ。戦うまでもない。消えてもらおうか」
 予備動作はない。次の瞬間、ルイネルはユーゼルに向かって雷のような電撃を放っていた。
 咄嗟にユーゼルは、堅く目を閉じ衝撃を待った。
 だが、耳をつんざくような破砕音が響く中、予想された破壊の波はいつまでもやってこない。
 ユーゼルはゆっくり目を開いた。
 水とクリスタルの防壁が稲妻を弾き返している。水と土の精霊は、腕組みをしたまま悠然と立っていた。
 思わぬ抵抗に、破壊の天使はあきらかにうろたえる。
「おまえ達は…何者だ!?」
「確か、人間界に直接干渉しないと言うのは、天界が押しつけてきた取り決めではなかったかな?」
 ラッド=ストームはたっぷりとした揶揄を込めて凄みのある笑いを作った。
「ダミーごときに名乗る名は持たぬ。退け、小僧」
 ヒーザー=デル=マイアは、腰に携えていた剣を一閃した。
 剣圧が唸り、床に亀裂が走る。
 衝撃波は、そのまま真っ直ぐ破壊の天使を真っ二つにした。
「!?」
 中央から二つに切り離された状態で、ルイネルはまだ立っている。
 二つの身体は、そのままバラバラに動き出した。
 破壊の天使は、愉しげに喉の奥で含み笑う。
「クックック…悪魔の力だ…、おもしろいね、天使のはずの君が、人間を助けるために、悪魔に魂を売ったんだね?ハハハ…ハーッハッハッハ!!」
 あちこちのモニターが、狂ったように明滅し、沢山のルイネルが笑った。
「いいだろう、じゃあ僕を止めてごらんよ。これから僕は、人間たちに平等な死をもたらす。富める者も貧しい者も、みな平等に恐れおののき、そして息絶えるのさ!!」
 プツン。
 全てのモニターがブラックアウトした。
 同時に目の前のルイネルも姿を消していた。
 残されたユーゼルは、雷に撃たれたように立ち尽くす。
「君の力が必要だ、ユーゼル」
 少し離れた場所から声を掛けたのは、真吾だった。
「彼は、すぐにものすごい勢いで沢山のコンピュータに干渉し、そのシステムを破壊していくだろう。あらゆるガードを突破し、ささやかな記録すら残さず、それがどういうことになるか解るかい?」
 今や全ての社会が、コンピュータによって管理されていると言っても過言ではない。
 ルイネルが、意志を持ったウイルスである以上、通信、交通は言うに及ばず、病院や原子力発電所の生命維持やセキュリティシステム、国防省のミサイルのボタンですら安全とは言えないのだ。
 ユーゼルは静かに目を閉じ、やがて深く息をついてエネアに向き直った。
「思い出した…。起動スイッチがきちんと働かなかったんだ。ルイネルを止めなきゃいけないこと、それがユーゼルの窓の掃除」
「ユーゼル…」
 ユーゼルは、柔らかく微笑むとエネアの手を取り、自分の胸にあてた。規則的に温かな鼓動が指先に伝わる。
「えねあ、ユーゼルも人間大好きだよ。いっぱい、いっぱい、素敵なものみせてもらった。ハンバーガーもパイも好きだよ。でも一番好きなものは、えねあだ。だから、エネアの好きな世界を、守るよ」
 ユーゼルの背中に白く大きな翼が開いてゆく。
「大丈夫、今なら、負けないよ。えねあがいっぱい勇気をくれたから。今度はちゃんと飛べる」
そう言うと、ユーゼルは力強く頷いて見せた。
「起動のためのパスワードは、『FREEDOM』。音声入力なんだ。えねあの声、もらってもいい?」
 ウイルスと相殺し合うワクチン。
 起動のスイッチを入れれば、二度と再び逢うことはない。
 エネアの胸は詰まった。

 マドノソウジナンテヤメチャイナサイ…。

 人間の世界が崩壊したってそれは自業自得じゃない。
 エネアは胸の中で一人ごちる。
 なのに、どうして自分はユーゼルを止められないんだろう。
 エネアの瞳から涙が溢れた。
「行ってらっしゃい、ユーゼル。あなたに会えて、楽しかったわ」
「ユーゼル、オトコマエ?」
「ええ、とっても。立派なナイトだわ」
 天使は、誇らしげに満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう、えねあ…」
 ユーゼルはそう言うと、優しくエネアを抱きしめた。
 エネアは心に誓う。自分が忘れずに覚えておこう。
 ユーゼルの笑顔。ユーゼルの声。ユーゼルの優しさ。
 気高く無垢な命が、確かに存在したこと。
 年若い魔女は毅然と胸を張り、最高の笑顔を見せると、天使の頬にキスをした。
「あなたの勇気に限りない崇拝と敬意を。FREEDOM!」

 まばゆい光が二人を包み、やがて天使は旅立っていった。

 雨は日没の頃から雪に変わった。
 次々と明かりの戻るビルの窓をぼんやりと眺めながら、エネアは無邪気な天使の笑顔を思った。
「ひと日を終えて眠るとき、
 主よ我が身を祝しませ
 御前に今日も励みつつ、
 愛のみむねを学びたり…」
 歌声は、傍らに立っていた遥都のものだった。
 誰に知られることもなく、人々の世界を守った天使のために、遥都は思いを込めて歌う。
 それは、幼い日、遥都の祖母が遥都のために歌った歌。
 絶望を超えて、希望を紡ぐための道標になるようにとの祈りの込められた賛美歌だった。
「我を去らず暗き夜も、
 昼のごとく守りませ
 み側近く眠らしめ、
 憂いと恐れを鎮めませ」
 祈りの形に組まれた指先をほどき、遥都は胸元で十字を切る。
「たとえ、われ死のかげの谷を歩むとも、わざわいを恐れじ
 アーメン…」
 神に祈る言葉を知らないエネアは、ただ黙って滲む窓の灯を見つめていた。


エピローグ

 ラッドとヒーザーに送られ、メフィスト姉弟は文字通り疲れきって魔界の屋敷に戻った。
 セバスチャンも事前に事情を聞いていたので、お説教は後でということで、二人はすぐに自室に戻ることができた。
「あーあ、全然いい所なしのとんだクリスマスだったぜ、もー風呂はいって、寝よー」
 弟は、相変わらず不機嫌そうだった。隣り合わせの子供部屋のドアを乱暴に開ける。怒る気力もなく、エネアは自分の部屋のノブに手を掛けた。
「あのさ、姉ちゃん…」
 ふいに、フェスはエネアを呼び止める。
「何よ」
 エネアは力なく振り返った。
「元気…出せよ」
 そう言うと弟は、自分の部屋のドアを閉めた。
 部屋に入ると、寝室の枕元になぜかわざわざ大きな靴下が置いてある。
「魔界にも出張するなんて、サンタも大変ね」
 人間界の風習が好きなサンタなど、バレバレなのだけど。
 取り出してみると、パソコン用のソフトだった。
 日記の書ける対話形式のゲームらしい。
「ふふっ、父ったら…」
 白いパッケージを開け、デスクトップにCDロムをセットする。
 画面に小さな白い羽根の天使が現れ、ぺこりとお辞儀をした。
『ハジメマシテ、ボクノナマエハ…』
 入力用の点滅がその後に続く。
 エネアは、椅子に座って改めて机に向かうと、少し考えてから、キーボードのキィをたたいた。


終わり


<HANG A HOLLY HEART THE WINDOW AT CHRISTMAS       3>


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