第1章 The fall one lost

 また今年も、コンビニの有線から山下達郎の切なげな歌声が流れている。
『♪きっと君はこな〜い。一人きりのクリスマスイブ…Oh』
 きれいなメロディラインだけど、これを歌っているような男は女々しくて嫌い。お手軽コスメのコーナーでマニキュアの新色を弄びながらエネアは思った。
 街中はクリスマス色に溢れ、電飾の点滅がこれでもかと自己主張を繰り返している。本来の目的など、当の昔に見失った空騒ぎのお祭り騒ぎ。
 寂しさを無理矢理埋めるかのようにはしゃぐ人間たちの笑顔が、やはりこの季節はちょっぴり哀れに見える。限られた時間の中で、一つでも多くの幸福を手に入れようと、本能に急き立てられ全力疾走してく人々。
長い時間を存在してる魔族にとって、人間の一生は、まるで電飾のひとまたたきのようだ。だからこそ、儚く、切なく、美しく映るのかもしれない。
 エネアはそんな人間界の活気と喧騒が好きだった。
 チケットの取れたお気に入りのバンドのコンサートは渋谷で六時から。まだ、たっぷり二時間はある。ウィンドウショッピングをしながらぶらぶら歩いて行けば、丁度良さそうだ。口紅を塗り直す前に、正面のカフェでホットショコラを飲もうと思い直し、エネアはコンビニを出た。
 原宿から代々木公園の横を抜け、渋谷の公園通りに向かう途中の景色は、その昔日本がオリンピックの為に作った場所の名残で緑が多く、ビルも民家もない。
 傾いた夕方の日差しが、ベンチやオブジェをぼやけたオレンジのコントラストで描いていた。
 季節が夏だったなら其処此処にたむろする若者たちでいっぱいだろうけれど、寒さから身を守ることのできない吹き曝しの空間は当然のように閑散として、行き交う人々もコートの襟を立て早足に通り過ぎてゆく。少し遠くに見える街明かりに向かって、エネアも心なしか早足になっていた。ふと気づくと、五メートルほど前で立ち止まっている親子連れが、不思議そうに一ヶ所を見ている。興味を引かれて、エネアも彼らの視線の先を追いかけた。
 −−−ベンチにたくさん鳥がとまっている。
「ん?」
 正確には、ベンチに座っている何者かにとまっているらしい。
 エネアは目をしばたいた。
 鳩や雀は言うに及ばず、カラスやオナガなどの野鳥までが喧嘩をすることなくおとなしくその場でじっとしているのだ。
 一見鳥たちにたかられている様に見える人物が、餌を撒いて集めている様子はない。ただじっと座っているだけである。まるで日溜まりで暖をとるように、鳥たちは青年の周りに屯っているのだ。青年は鳥たちが、身体中にとまっていることを、別段意に介している様子はない。
 年の頃なら二十歳を少し過ぎたところだろうか、ひょろりと痩せた背の高そうな青年である。青年の着ている、白かったであろうツナギは、あちこち汚れ綻びているけれど、不思議に浮浪者のような感じはしなかった。
それはおそらく、青年の浮かべる表情が、穏やかで暖かかったからだろう。宗教画の聖母を髣髴とさせるその光景は、冬枯れの中にあってなお、心暖まるビジョンであった。
 ふと、エネアの視線に気づいたかのように、青年が顔を上げてこちらを向いた。その時である。
「!?…」
 青年の周りにいた鳥たちがいっせいに飛び立った。
 あきらかにゴロツキとわかる目つきの悪い五、六人のグループが、ベンチの青年に近づいてきたのである。
「おい、おい、兄ちゃん。手品使ってうちのヤツかわいがってくれたんだってえ?」
 青年は答えない、言葉の意味がよく解っていないのか、にこにこと微笑を返している。
「へらへらしてんじゃねーよ!」
 ビスの打ってある手袋をした男が、いきなり青年の顔に右ストレートを繰り出した。
 勢い良く、青年の身体が宙を飛ぶ…はずだった。
「うおっ!?」
 吹っ飛んだのはパンチを出した当の本人だった。まるで、繰り出したエネルギーがそのまま自分に返ってきたかのようである。
「ねっ、ねっ、だから言ったでしょ?こいつ妙な技使うんですよ。気を付けてください」
 一番後ろから様子を伺っているのが、『かわいがられたヤツ』なのだろう。逃げ腰で、薄気味悪そうな視線を青年に向けている。
 状況が飲み込めないのか、あるいは男たちをバカにしているのか、青年はきょとんとした顔で二、三度瞬きをした。
「やろう、ぶっ殺す!」
 コンクリートの路上にしたたか顔をぶつけ鼻血を出した男が、怒りで顔を真っ赤にしながら叫ぶ。勢い、男たちは殺気立った。
「おい、手が出ねえように後ろから押さえろ!」
 命じられるままに、二人の男が青年を後ろから押さえる。青年は無抵抗のまま男たちの暴挙を静観しているようだ。それがよけいに、男たちの怒りを煽った。
「おふくろでも見分けのつかネエ顔にしてやるぜ。にいちゃん」
 さっきの様子といい、鳥たちの反応といい、どうやら青年は人間ではないらしい。エネアは薄く笑った。いずれにせよ、怪我をするのは、襲ったほうに違いない。まあ、いい薬になるだろう。お気の毒に。
「…あら、コンサートに遅れちゃうわ」
 エネアは考えを巡らし興味を失って踵を返そうとした。
 骨のぶつかる鈍い嫌な音が背後で響いている。先ほどの親子連れも関り合っては大変とばかり移動していた。
「ねえ、ママ、警察呼ぼうよ、あれじゃ、お兄ちゃん死んじゃうよお」
 ひそめた子供の言葉に、エネアは驚いて振り返った。
 青年は無抵抗のまま男たちの暴行を受けているではないか。
「な、何、殴られてんのよ!?信じらんない!!」
 エネアは咄嗟に手の中に風を喚(よ)んだ。
『疾風の壁よ敵の目をくらませ、旋風の沓よ彼方へと我を運べ!!』
 全ては瞬きの間の出来事だった。突然、青年と男たちを熱風が襲ったかと思うと、青年の姿だけが忽然と消えていたのだ。
 正確には、エネアと青年の姿がだが。
「…ママ、あそこにいたお兄ちゃんとお姉ちゃん消えちゃったよ」
「見るんじゃありません!」
 子供の目撃証言は得てして黙殺され闇に葬られるらしい。大騒ぎの男たちを残し、親子連れはその場を去っていった。

 そして、現場を離れること数百メートル。
 代々木公園の茂みの中にエネアと青年は隠れていた。
「ここなら、大丈夫。ちょっとやそっとじゃ見つからないわ。まったく、あなたなんで黙ってぶたれてたの?」
 エネアの言葉に、青年はまた二、三度瞬きをしてまっすぐ顔を上げた。光線の加減なのか、青年の瞳が柔らかなグリーンを帯びて見える。エネアは、ポケットの中からハンカチを取り出すと、青年の切れた唇に当てた。痛みはちゃんと感じているらしい。青年は眉根を寄せた。
「あなた、人間じゃないでしょ?」
 エネアの言葉に、青年は少し困ったように俯く。
「心配しないで、あたしもそうよ。でも、どうして抵抗しなかったの?」
「…けんか、ダメ。人間、脆いから」
「だからって、殴られっぱなしじゃあなたが怪我しちゃうでしょ?」
 エネアはあきれ顔で小首を傾げた。
「ユーゼル、平気。壊れない。ダイジョブ」
 そう言うと青年は、満面の笑顔でにっこり笑った。
「ユーゼル?…ってことはもしかして、あなた…」
 エネアは、人懐っこい笑顔の青年が自分にとって最も遠い場所から来たことを悟った。
「−−−天使なの?」
 大正解。返事の代わりに、青年は飛び切りの笑顔で大きく頷いた。


第2章 Go out together

 ひどく大ざっぱな話だが、遥か大昔に、天上で大きな戦があった。神の意に染まぬ天使たちが、天上を追われ地獄に落ちたものと伝えられている。だが魔界では、相容れない考えを持ったものたちが、戦の末、天界を去って地下に降りたことになっている。実際のところは、何が起こったのかは解らない。いずれにせよ、神様の都合など、エネアにはまったく興味がなかった。
 魔界と天界は、いろんな意味で正反対であり、また鏡写しでもある。神にとって、人間界の支配に魔界の存在はきわめて不都合(魔界が存在してること自体、神が絶対ではないことの証明になってしまうからだ)なのかもしれないが、無くなってもらっても困る。なぜなら、悪いことはみんな、悪魔のささやきだからだ。『必要悪』という言葉は、矛盾してはいないか是非神様に会ったら聞いてみたいものだと、常々エネアは思っていた。
 魔界にも、それなりの厳しい戒律が存在するが、天界のそれに比べればバターのように緩いものらしい。セバスチャンの天界体系学の授業で、確かそんなことを聞いた気もするが、エネアが覚えているのは、天使たちの名前は全員、ヘブライ語の神を意味する『el(える)』で終わると言うことだ。そのために、堕天した天使たちはみんな、その名前からエルを外したのだという。ルシフェル=ルシファーといった具合に。
 言ってみれば、どんな名前でも女の子には『子』をつけ、男の子には『郎』とか『男』をつけるようなものである。お世辞にも、個性的とは言いがたいとエネアは思った。
「それにしても…困ったわね…」
 ユーゼルは自分の名前以外のことをほとんど覚えていないようだった。魔族と違い、天使たちは理由もなく人間に姿を見せることはまずない。しかも、それぞれに神の与えた厳格な使命があるはずなのだが、どうやらこの青年天使は、それすらきちんと思い出せないらしい。
 二つ目のビッグマックを幸せそうに頬張るユーゼルを前に、エネアは大きなため息を吐いた。
 あの後ユーゼルは、コンサート会場に向かうエネアの後に、子犬のようについてきてしまったのだ。当然のようにエネアと一緒に入場しようとするユーゼルのために、エネアは仕方なくダフ屋からチケットを譲ってもらう羽目になった。(もちろん、払ったお金は、後で突風がダフ屋を襲って手に戻ってきたのだけれど)
 オールスタンディングで盛り上がる観客の中で、ひたすらにこにこする長身のユーゼルは、逆に悪目立ちし、エネアはちっともステージに集中できなかったのである。
「せめて所属とか思い出せればねぇ…」
 季節限定のマックシェイクに突っ込んだストローをぐるぐるしながらエネアは途方に暮れた。
 まさか魔界(いえ)に連れて帰るわけにもいかないし、かといって、記憶喪失の天使を預かってくれるような奇特な知り合いなど、人間界にいるはずもない。
 エネアの苦悩をよそに、ユーゼルはアップルパイを箱ごと食べようとして四苦八苦していた。
「ねえ、ユーゼル、なんでもいいからほかに思い出せることないの?」
 アップルパイの箱をあけてやりながら、エネアが聞いた。
「ユーゼル、掃除する。窓、掃除。きれい、きれいに。それ、ユーゼルの仕事」
 青年は、誇らしげに言った。
「窓の掃除?天使が?」
 ますます混乱して、エネアは頭を抱えた。たしか予言では、神様が天使に大掃除を命じるのはまだ少し先のことではなかったか。しかも『最後の審判』と呼ばれるその大掃除は、窓拭きなどという生易しいものではなく、地上の人間が十分の一ほどになってしまうという、とんでもない暴挙だったはずである。ちなみに魔族は全滅するらしい。大きなお世話である。
「神様がわざわざクリスマス直前のバイトに来させたわけじゃないでしょうに…」
 アップルパイを食べ終わって物足りなそうにしているユーゼルに、エネアは苦笑しながらつぶやいた。
「バイト違うよ。本当仕事。でも、ユーゼル何か忘れてる。それが、思い出せない」
 青年天使は腕組みをして首を傾げた。
 厳しい顔のユーゼルのほっぺたに、アップルパイの欠片がついている。思わず、エネアは噴き出した。
「いいわ、仕方がないから一緒に探してあげる。とてもほっとけないもの」
 エネアの反応が嬉しかったのか、天使はまた満面の笑顔になった。

 夜九時を回っても渋谷の公園通りは、まだ宵の口である。人混みに紛れ、迷子にならないようにエネアはユーゼルの手を引いて歩いた。
 大きくて暖かいユーゼルの手が、一生懸命エネアの手を握り返している。まるで、フェスを連れて歩いているようだとエネアは思った。そして、弟と同時に思い出した人物がいる。
「そうだ、そういえば一人いたわ。人間のくせに悪魔なヤツ。あいつに頼もう!」
 同時刻、浅草、アンダーヘブンズバーでバイト中の占い師は、大きなくしゃみをしていた。



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