第3章 in Church

 『人間なのに悪魔なヤツ』が『魔女』に召還され、渋谷に到着したのは、そろそろ終電が気にかかる時間だった。
「遅ーい!もう、女の子待たせるなんて最低よ真吾」
「ごめんごめん、でも、これでもバイト終わってから着替えもせずに大急ぎで来たんだよ」
 白い息を弾ませながら、近江真吾はしれっと恋人の言い訳ような台詞を吐いた。
「相変わらずペテン師ね。まあいいわ。ねえ、ところで窓の掃除をする天使って聞いたことある?」
 そう言うと、エネアはチラリと後ろのユーゼルを見やった。
 渋谷はほろ酔い気分の人々でにぎわっている。ユーゼルは、エネアに言われた通り、ハチ公の尻尾を触っておとなしく待っていた。
「ふうん、お姫様の新しいイチ押しは天使なんだ。ストライクゾーン広いね。叔父さんにヤキモチ焼かれちゃうぞ」
「冗談言ってないで考えてよ。あたしそろそろ帰らないとマジでヤバイのよ。セバスチャンがうるさいんだから」
「はいはい、わかりました。喜んでご協力いたしますお姫様」
 真吾は軽くため息をつくと、エネアと肩を並べユーゼルに向かって歩き出した。
街のイルミネーションが明る過ぎて、仰ぎ見る空に星の瞬きは数えるほどしかない。青年は少し寂しげに空を見ていた。
「お待たせ、ユーゼル」
 エネアの声に、天使はぱっと明るい笑顔を浮かべる。まるで、横のハチ公のような反応だと真吾は思った。
「こんにちは、初めまして。近江真吾といいます。ヤコブの梯子はどこにかかりました?」
「えびす(EBTH)に。べテル(Beth−el)の代わり。この国大きな塔たくさんある。気がついたら高い塔の上にいた。階段たくさん降りたよ。楽しかった。」
 真吾のさりげない質問に、ユーゼルは楽しそうに答えた。ヤコブの梯子というのは、地上から天国へ到る階段の事である。べテルはヘブライ語で「神の家」という意味だ。
 真吾はちょっと考えてからエネアを振り向いた。
「ちょっと込み入った話になりそうだな。ここじゃ風邪をひいちゃうから場所を移そう、それと、僕と二人でデートだとパパやママやセバスチャンがよけいな心配するだろうから、弟そのイチを呼び出すね」
「いいけど、どこにいくの?」
 真吾は携帯電話の短縮を押しながらエネアの質問に答えた。
「天使にふさわしい場所さ。…あ、もしもし?遥都くん?」
 十分後、JRのトイレで呼び出しを食らった超不機嫌なフェスを加えた四人は、N区のサンタマリア協会に向かった。

「窓の掃除をする天使?」
 深夜の訪問に嫌な顔一つせず、一行を迎え入れた教会の息子は、温かなカフェ・オレを出しながら小首を傾げた。
「初耳だなあ…」
 ユーゼルは相変わらず、にこにこしながらエネアの後を付いて回っていた。その様子にフェスはますます不機嫌になる。
「だいたい姉ちゃんが変なもん拾ってくるから悪いんだぞ。母にばれたら、もといた場所に返していらっしゃいって言われるに決まってるぜ」
「うるさいわね愚弟。あんただって、自分じゃ育てられないくせに、小さい頃からよくいろんなもの拾ってきたじゃない。火ネズミとかシカツノガエルとかサラマンダーとか。結局みんなセバスチャンかゼノが面倒見てたでしょ!?」
 ゼノというのは、メフィスト家に門番として仕えている巨人族の男である。無口でめったに口を開くことはないが、気の優しい人物だ。
 離れの小屋で(もっとも、小屋と言っても三階建てほどの大きさがあるのだが)たくさんの動物たちと暮らしている。フェスが、彼のペットを増やしていたのは間違いない事実だったようだ。
「まあ、それはそうだけど…」
 痛いところを切り返され、フェスは口ごもった。
「まあまあ、お姫様、弟君は自分のポジションが取られてちょっぴり拗ねているんだよ」
「おい、誰が拗ねているんだって?」
 真吾の核心を突いた言葉に、フェスは気色ばんで反論の態勢を取る。
 だが、当のユーゼルがまったくわかっていない様子なので、すっかり馬鹿馬鹿しくなって短い溜め息を吐いた。
「うちの聖堂はあまり大きくないけど、何か思い出すかもしれないから行ってみようか」
 さりげなく場の空気を変えようと、遥都が提案する。
「いい考えだね。行ってみよう、ユーゼル」
 即座に賛同して、真吾はユーゼルを促した。ほとんど条件反射のように、ユーゼルはエネアの顔を見る。エネアが答える前に、口を開いたのは弟のほうだった。
「オレは聖域になんか入りたくないぜ。気分が悪くなるから、残る」
 当然といえば当然の主張である。
 神の教えを説くための教会の中は、魔族の二人にとってあまり居心地のいい空間とは言えない。
 さすがのエネアも、聖堂までは行く気になれなかった。
 だが、ユーゼルは、エネアの顔をじーっと見つめたまま動かない。
「困ったわね…」
 ひよこに刷り込み現象によく似た状況に、エネアは肩をすくめた。
「と、言うわけだから、行くわよ愚弟」
「な、何でオレまで〜!?」
 有無を言わさずエネアはフェスの後ろ首をつかんで立ち上がった。
 サンタマリア教会は、祭壇中央に大きなマリア像を安置している。
 結婚式の入場の時や、ミサの聖歌隊の伴奏に使うエレクトーンがある以外は、木作りのイスが並んだだけの質素な作りだった。
 ユーゼルは、聖堂の壁に沿って作られている大振りの窓を見上げ細くて長い指をガラスにあてた。
「…冷たい…」
 外はこの冬一番の冷え込みらしい。すぐには暖房の行き届かない聖堂の中は、吐く息が白く見える。
「さすがに寒いね」
 真吾は遥都のつけたストーブのそばで苦笑いをした。
「彼は寒くないのかな?」
 遥都がユーゼルを心配して誰とはなしに尋ねる。エネアもフェスも、無言でストーブに張り付いていた。
「天使は寒さに鈍感らしいな?姉ちゃん」
「おだまり。寒いんだから無駄口をたたくんじゃないの」
 憎まれ口をききながら、エネアの視線はユーゼルを追っていた。
 夕方の日差しの中で鳥たちといた時と同じように、ユーゼルは空気に溶けてしまいそうなほど透明に感じる。
 不思議な戸惑いが、エネアの胸に形を成そうとしていた。
「窓…きれい」
 ぽつりと寂しそうにユーゼルが呟いた。
「あ、ああ、昨日大掃除で磨いたばかりなんだ。明日はもうクリスマスだから…」
 遥都は、どう答えていいか言葉を選びあぐねていたが、そばで見ていた真吾は、ユーゼルの反応を見逃さなかった。
「遥都君、静かに」
「!?」
 天使の身体が、わずかに光を帯びている。
 青年の顔が不安で曇った。
「ジーザス…?聖誕祭?それまでに、窓を、窓をきれいにしなくちゃ…それがユーゼルの仕事。どこ?窓は、窓はどこ?思い出せない、何も思い出せないよ!」
 助けを求める子供のように、ユーゼルは叫んだ。
 とたん、聖堂の全ての窓が、呼応するように小刻みに震えたかと思うと、びっしりと幾何の数字を写し出した。
「こ、これは…?」
 走る走査線。無限に消えてゆく数字。フォログラフのようにブレて、崩れそうになる。
 居合わせたものは息を呑んだ。
「ユーゼル!」
 エネアが、ユーゼルのそばに走って行き消えそうになる身体を抱きしめる。
「しっかり、ちゃんとあたしを見て!」
「え…ね…あ…?」
「そうよ、しっかりしなさい!!」
 青年の身体が、徐々に輝きを失い、やがてしっかりとした実体に戻った。
「ユーゼル…大丈夫、もう大丈夫よ」
 エネアの言葉に安堵したのか、天使はゆっくりと頷くと深い眠りに落ちた。
 真吾と遥都は、よろけながらユーゼルを支えるエネアに駆け寄り、驚くほど軽い天使のその身体を居間に運んだ。

「どういうことだよ、真吾。さっきのあれ、オレにも解るように説明してくれ」
 フェスは、相変わらず不機嫌そうにしかめ面で聞いた。
「SSA…スフィックスサイバーエンジェルだな。たぶん…」
「はあ?何それ、特撮のヒーローかよ」
「似てるけど違うかな。むしろ、もっと近いものがあるよ。ちょっとこれ見て」
 そう言うと真吾は、携帯電話を開いてみせた。
「何、これ?」
 携帯電話の小さなモニターに、奇妙な生き物のグラフィックが動いている。
「ポスト・テルっていうメール受信のサブマネージャーソフトさ。パソコンのポストペットと機能的に似ているかな。いたずらや迷惑メールを弾いてくれるっていうのが売りなんだけどね。電脳世界で生きているこういった擬似生命体を、洒落で『サイバーエンジェル』って呼ぶんだよ。もともと、天使は接尾語のelで乱造された時代があって、そういった新しい天使をサフィックスエンジェルっていっていたんだって。だから、次々増えていく電脳世界の擬似生命体を、その両方を併せてSSA(サスフィックスサイバーエンジェル)って呼ぶんだ」
「そうか真吾君…この『窓』だ」
 遥都が携帯電話のウインドウを見ながら、初めて合点したように真吾の顔を見た。
「彼は、多分何かのきっかけで、本物の天使と電脳世界のSSAとが融合してしまった存在じゃないかと思う」
「じゃあ何か?ゲームのキャラクターが外に出てきたようなものか?」
 フェスが、すっとんきょうな声を出した。身も蓋もない言い方だが、的を得ている。真吾は、ちょっと笑った。
「そう、プログラムされたAIが独り歩きしている状態かな。バグって呼ばれる電脳世界の幽霊は意外に多いらしい」
「仮の命を与えられた擬似生命体の幽霊…」
 遥都は真吾の言葉を反芻するように呟いた。
 少し前に爆発的に流行した『たまごっち』や、すっかり定着したメールソフト『ポストペット』、果ては『どこでも一緒』などの各種育成ゲーム…。
 気軽に生み出されては簡単にリセットされる、極めて『軽い命』たち。
 彼らの『死』を、造物主たる人間はどんな気持ちで見ているのだろう。案外『神』の気持ちを最も身近に感じることのできる方法かもしれない。
〜ウマクイカナカッタカラ、りせっとヲ、オシテシマオウ。
 消されゆく『命』たちに、抗議も抵抗も反論の余地もない。
 絶対的な『力』のもとに積みかさねられていく、途中で途切れた想いの数々。おそらく神にとって人間は、『最後の審判』に対して横暴だと憤慨する権利の無い存在なのだ。
〜モットイキテイタカッタ…
 其処此処に残った気持ちが、野ざらしにされ、やがて朽ちて行く。
 悲しみも喜びもまったくの無に還るのだ。
「人間は、あまり出来の良くない『神の映し身』だっていうからね」
 揶揄とも皮肉とも寂寥とも取れる顔で真吾は呟いた。



第4章 VIRUS

 エネアは眠るユーゼルの傍らに座っていた。
 真吾の説明を信じるとすれば、ユーゼルは何かのプログラムのバグが形を取っているに過ぎない存在である。いつ消えてもおかしくない不安定な命なのだ。
 ユーゼルのわずかな記憶に、聖誕祭までに仕事をしてなくてはならないという事実が残っていた。それは、プログラムの終了が、おそらくはクリスマスであることを示している。だとすれば、それ以降まで彼が存在を続ける可能性は極めて低かったのである。
 閉じられた長い睫の先が微かに震えている。
 天使はいったいどんな夢をみるのだろう?
 忠実な神の僕は絶対の命令(プログラム)に従って、その使命を全うする。
 ユーゼルもまた、自分の存在に忠実に命令を果たそうとしているのだ。忘れてしまったその命令を。
 額にかかる前髪を指で直してやりながら、エネアは小さく呟いた。
「窓拭きなんて忘れちゃいなさいよ…」
 天使の目蓋がゆっくりと開く。
「えねあ…?」
「おはよ。気分はどお?」
 問われて天使はにっこりと笑う。無垢で汚れない純粋な喜びの顔。
 エネアの胸の奥がきゅんと痛んだ。
「ユーゼル、よく寝た。気分いいよ」
「そう、よかったわ。夜が明けたら、一緒に探しに行こうね」
 それがたとえ見つからない捜し物だったとしても、魔族の約束は自ら選んで誓った場合、契約に等しく『絶対』である。
 エネアの言葉にユーゼルは嬉しそうに頷いた。

 イブの朝だった。
 白々と明け始めた東の空に、早起きの鳥たちの声が響いている。
 真吾も遥都も、フェスもまだ眠っている。
 エネアは走り書きのメモを残し、ユーゼルと共にサンタマリア教会を後にした。
 目が覚めて、おいてきぼりを食わされたと知ったフェスは、またいっそう不機嫌になった。
「まったく、冗談じゃないぜあの馬鹿姉め!魔女が天使とうまく行くわきゃねーだろっ!!」
「まあまあ、落ち着けよフェス。エネアはきっと気がついていたんだろうよ。ユーゼルが、おそらく今日で消えてしまう事をさ」
 トーストと目玉焼きの皿をテーブルに置きながら、まるで自分の家にいるようなリラックスした調子で真吾は言った。
「え?消える?何で?」
「ユーゼルがジーザスの聖誕祭までにって言ってたろ?クリスマスはもともとキリストの誕生を祝うお祭り。つまり、それは明日までに目的を終了するはずだったって事なのさ。あ、遥都君、フェスはコーヒーじゃなくて牛乳もらっていいかな?カルシウム足りないからね」
 そう言うと真吾は遥都に軽くウインクをする。
 遥都が笑いながら台所に戻るのを、釈然としない気分で見送りながら、フェスは居間のテレビのスイッチを入れた。
 テレビからは朝のニュースが流れている。ぴしっとスーツを着たアナウンサーが心持ち緊張した声で昨日からの出来事を伝えていた。
 つまらないのでチャンネルを変えようとしたフェスの手を真吾が止める。
「待って、フェス」
「?…何だよ」
 真吾の表情にただならぬ緊張を感じ、フェスは改めてニュースに向き直った。
『G−Nasai−LK型と呼ばれる新種のウイルスがインターネット通信上で猛威を振るっている模様です。このウイルスは、パソコンの機種に関係なくウインドウを開いただけで感染していく悪質なもので、被害にあった人は、すぐに気づかずにまだ増え続ける模様です。政府は、全く新しいネットテロリストの仕業の可能性を重く見て、調査に乗り出す姿勢を明らかにしました。…』
 ネットテロリスト。現代の情報社会を根底から揺るがしかねない通信犯罪のエキスパートのことである。
コンピュータウイルスは、インターネット通信上で感染し、酷いものでは、コンピュータの機能そのものを破壊してしまうものもある。それは、偶然発症する事故などではなく、明らかに悪意を持って作られた破壊のためのプログラム。圧倒的に愉快犯である事が多いのだ。だが、感染させられる方はたまったものではない。
 大事なデータやシステムが無作為に奪われるのだから、ちょっとした出来心や、いたずらですむ問題ではない。
 そのネットウイルスが手におえない状態に成長し、蔓延しつつあるらしい。
「…これか」
 真吾は低くうなるように呟いた。
「遥都君、どうやら本来の彼の目的が見えたよ。クリスマスに合わせて都市機能が麻痺するようなウイルスを まき散らした奴がいるらしい。でも、完全に麻痺してしまっては自分も困るから、ウイルスと同時にそれを止めるためのものも開発しているはずだ。僕の予想が正しければ、ユーゼルは、きっとウイルスを駆除するために作られたワクチンソフトだ」
 聖誕祭に窓を掃除する天使−−−。
 インターネットを利用するすべての人を指し示す言葉は、ユーザー、そして彼の名前は『USE−el』ではないか。
「ユーゼルを探してきちんと覚醒させよう」
「うん。わかったよ、真吾君」
 遥都は、即座に事の重大さを理解した。だが、人間界の情報に疎いフェスはいま一つ納得ができていないらしい。渋顔のフェスになみなみと牛乳を注いだコップを差し出し真吾が言った。
「がっちり食べて、しっかり働こう。忙しくなるぞ」
 どうやらまたやっかい事に足を踏み込んでしまったらしい。
 フェスは、乱暴にコップをひったくると、一気に飲み干して白い髭をつけた。




<HANG A HOLLY HEART THE WINDOW AT CHRISTMAS     2  


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