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【第5章 噂X 『消えた魚、そして…』】
湖畔を、三人は町長の屋敷に向かっていた。
夕陽が沈み、黄昏が湖を包んでいる。
落日の残り火が、三人の姿を影のきついコントラストに浮き彫りにしていた。
無言で道を急ぐフォルスの背中に、レオンが語りかける。
「マリス=フォールダを殺したのはこのあたりか?」
フォルスの背中がビクリと反応し、歩みが止まった。
ゆっくりと、フォルスはレオンを振り返る。
影に縁どられたその顔は、まるで別人に見えた。
「今、何と言った?」
「マリスを、いやリリスを襲おうとしたのはこのあたりかと聞いたんだ」
黄昏の中、立ち止まる詩人はゆっくりと繰り返した。
闇に溶けながら尚、闇を圧する闇の気が、静かに詩人を包んでいる。
フォルスはわずかに目を細めた。
「獣化はなあ、素人がやるにはリスクが多過ぎるんだぜ、若だんな」
詩人の傍らの大男も夜闇の中に溶けかかっている。
だが、その両目は、闇の中で金色に燃えていた。
「いったい…何を言っているんだ」
フォルスの体が小刻みに震えている。
レオンはかまわず続けた。
「月涙草が媚薬の効果を発揮するとされるのは確かに数分と言われている。だが、それも根拠のない噂話だ。そんなものに振り回されて己を見失うなど、愚かなことだとは思わなかったのか?」
濃い闇が湖を塗りつぶしてゆく。
だが、闇の中で形を変える影があった。
ヒュー、ヒューと耳に障る音がそこから響いてくる。
発声器官の違いから来る違和感のある声がレオンの問いに応えた。
「そんなものにすがってでも、オレはあいつの心を取り戻したかったのさ!」
声と同時に影は跳(おど)った。
ヴォルフとレオンは、間髪入れずにその場を飛び退く。
跳躍と同時に、ヴォルフは特大の点灯(ライティア)を編んだ。
偽りの真昼に浮かんだその姿は、人の形をほとんど留めていない異形の魚だった。
「無理な獣化は時として酷いリバウンドを生む。やたらと肉が喰いたくなったり、血が欲しくなったりとさまざまだが、どれも理性のタガが外れ、最初の目的を見失ってどんどんエスカレートしてゆく。人であることを忘れるほどなっ!!」
ヴォルフの姿が急激に金色の光を放つ。
次に大地に降り立ったのは、金色の狼だった。
大地を揺るがす咆哮が、湖に響き渡る。
およそ、大地に暮らす獣には絶対の服従を強いるその雄叫びも、狂った半魚人には通じないようだった。
陸を走る魚は金色の狼目がけて突進してきた。
狼は、身をかわしながら魚の右腕だった部分を食いちぎる。
奇妙な叫びが大気を引き裂いた。
魚は、無意識に自分の身が優位に立てる場所に向かった。
すなわち、湖に入ろうとしたのである。
_____が。
月が昇っていた。
東の空から満月が湖の上に。
そして、その美しい銀板に浮かび上がるシルエットは竪琴をもった異能の詩人。
いや、湖水の上に静かに立つその人物は、北の王宮にあるべき存在だった。
「違法の薬を使ってお前に変身を促した者たちは後で罰しておこう。だが、お前自身もその身をもって罪を贖わねばならん。河を越えて、もう一度やり直して来い。」
それは、何の気負いもない静かな断罪。
幾多のものを送ってきた者だけが持つ、絶対の闇。
次の瞬間、蒼い雷が湖を貫いた。

【第6章 噂Y 『うわばみレオン』】
チリン…。
門鈴が涼しい音を立てる。
マックの店は、相変わらず空いていた。
「マスター、キールを頼む。それから何か肴もな」
窓際に腰を下ろしながら大男は言った。
「ヘイ、毎度あり!!」
マックは愛想よく応える。町は不景気だったが、この二人の客は金払いのいい上客だった。
「煮ても焼いても喰えない魚だったな…」
ヴォルフがため息をつく。
「いつ頃から、あいつが犯人だとわかってた?」
ヴォルフの問いに、レオンは冷静に応える。
「目撃者に話を聞きに行くと云った時、奴はすぐさまリリスと決めた。他の可能性もあるのに…だ。
それは自分の姿を見られた者にしかわかるまい」
端的な答えに、ヴォルフは短く口笛を吹いた。
「恋に呑まれて盲しいになる。いつの時代も変わらないものかも知れんな」
珍しく詩人の横顔にかぎろいが浮かんで消えた。
「ふうん…で、お前はどうなんだ?」
金の瞳にいたずらな光がよぎる。
杯越しの蒼い瞳は柔らかく微笑んだ。
「呑まれる前に呑むのさ。例え運命でも…」
ヴォルフは、レオンの言葉に含み笑う。
中天にかかる満月が、レオンの肩越しにまぶしかった。
「よし、分かった。それじゃとことん付き合ってやる。マスター、呑み比べだ!じゃんじゃん持ってきてくれ!根性のある奴はかかってこい。俺たちに勝ったら、勘定はまるまる面倒見てやるぜ!!」
時ならぬ大盤振舞いに、沈んでいた店は大騒ぎになる。酒豪で鳴らしたマックも、黙ってはいられない。
噂を聞きつけ、町中の酒飲みたちがこの時とばかり大集合し、夏の夜の大宴会となった。
明け方、月の沈む頃、全員が酔いつぶれてもまだ一人涼しい顔で杯をかたむけていたのは、やっぱり“孤独”と言う名の吟遊詩人だったのである。





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