【第1章 噂T 『人喰い魚』】
でたぞー!また人喰い魚だー!」
「何だと?今度は誰だ!?」
「カミルんとこの娘とボーヴィルのとこの息子だってよ。もっともバラバラに喰いちらかされてて親でも見わけつかねぇ状態だとさ。かろうじて着てるもんからそうだろうってことになってな」
「むごい話だねえ」
底冷えのする恐怖のこもった声たちが湖のほうに流れてゆく。
さして大きくはない湖畔の町は騒然としていた。
月船湖の南にあるミズィカ。この町は、その生計をほぼ湖から獲れる魚に頼っている。
だが、今港は、ここ半月ほど前から出没する殺人魚のために封鎖状態だった。
街の繁華街で店を構えるマック=デニスポーダは、表通りを走ってゆく人と噂を苦々しい思いで見送っていた。
おかげで、観光シーズンだというのに客足はさっぱりである。
まして、水揚げがなければ商売は成り立たない。
月船湖には、ミズィカの他に五つ港があるが、どれも西側にあって、陸路からの仕入れは、不便極まりなかった。
だが、何よりも、得体の知れない怪物がすぐ傍で息をしていると言うストレスが、街の住人たちの神経をすり減らしていたのである。
「ちっ、全く商売上がったりだぜ」
トレード・マークのヒゲをゴシゴシしごいて、マックはぼやいた。
その時、店の扉に下がっている門鈴(トールベル)が涼しい音をたてた。
「いらっしゃ…い」
反射的に挨拶をしたマックの声は、語尾がかすれた。
入り口から入ってきた客は、男が2人。
一人は身長2マール60ミルを超える大男。
もう一人は相方には及ばないまでも、背の高い異国の吟遊詩人風の男だった。
「オヤジ、冷えたキールを2つたのむ」
 あいまいな笑みを浮かべ、大男はマックに声をかけると、店の隅に腰を下ろした。
「ヘイ、毎度」
軽快な返事を返しながら、マックはもう一度二人の客を盗み見た。
仕事柄、いろんな客を相手にするマックは、一目見ただけで相手がどんな職業なのかほぼ正確に判別することが出来たし、どの地方の生まれなのかも言い当てられるのが自慢だった。
だが、この二人の客、特に竪琴(ルーバ)をかかえた吟遊詩人然とした男は、マックのカンを全く鈍らせてしまったのだ。
褐色の肌に、青い瞳。着ている服は西の都ファルミスのものに近い。だが、何かが違う気がする。
マックは、あれこれと思いをめぐらせながら、地下の氷室に続く扉を開けた。

マックの店はミズィカの町でも少し高台の場所にあり、広く開いた窓からは、海のように広がる月船湖を眺めることが出来た。
静かに青い湖を見つめる、湖水よりも蒼い瞳の主に向かって、大男は聞いた。
「本当に、あれで良かったのか?ベ…いや、レオン」
レオンと呼ばれた青い瞳は、わずかに微笑んで目線を移す。
「ああ、ガーニャとの約束は、まだ先だ。世話をかけたな、ヴォルフ」
レオンとヴォルフ___。
それは、北の王宮にあってはこう呼ばれるべき人物だった。
国王陛下(クラウン・ベル)と獣性王(ヴォルフ=ヴォウ)___と。
王が秘密裡に王宮を空けるのは、今に始まったことではないが、王都から1週間以上もかかる場所に姿を現すのは特別な理由があった。
それは、ガーニャ=ランバス=ソウルウェルの死。
王にとっては古い友人であり、本当の意味での数少ない理解者だった彼女は、天寿を全うして地に還った。
彼女の遺言で、その亡骸は、レトナー渓谷のはずれにある『戦士の丘』に葬られることになった。
家族の暮らすサルファでも、一族の棲む獣性の一族の郷でもないその場所は、彼女にとって思い出の場所だった。
かつて、女戦士として大空を翔け、『神雷の隼(ガーニャ=ブランカ)』の名を欲しいままにした古戦場がそこにある。
その戦を共に戦ったのは、夫だったザイムと、同じ一族のハルス。そして第4王子___。
時は流れ、ザイムもハルスも彼女より先に大地に還り、第4王子は、戴冠して国王になったのである。
そして、国王クラウンベルは彼女の最期の飛翔を思い出の丘で見送るためにやって来たのだった。
だが、ヴォルフの質問の真意は別なところにあった。
___あれでよかったのか?
それは、王がガーニャの死を悼むもう一人の人物に会わずに来たことを指していた。
ガーニャの亡骸を負ったヴォルフを、サルファの町はずれまで見送りに来た小さな影は3つ。
それはガーニャの孫であるレイラとカイルの双子と、ガーニャが手塩にかけ愛しんで守ってきた忘れん坊の姫ユーリだった。
三人は手をつないで、ヴォルフの姿が見えなくなるまで、ずっとずっと立ちつくしていた。
ヴォルフは、大きく見開かれた落日色の瞳を思い出す。
凶兆の証とされ、都から離され暮らす幼い姫は、今また自分のよりどころであった乳母の死に直面している。
その小さな胸の痛みを思うと、ヴォルフ自身やり切れない思いでいっぱいになった。
まして___だ。
金の瞳は、目前の人物を見つめる。
その黄昏色のまなざしが想うのは、すでに300年前から落日を瞳に宿す乙女ただ一人。
その想いを守るため、ガーニャはユーリの乳母として王宮からサルファに来たのだ。
胸の奥で静かに熟成されてゆく、苦く甘美な果実酒。
それは、恋と呼ぶにはあまりに長く狂おしい時間であり、すでに常人の理解の範疇を超えていただろう。
だが、王の傍らでその人となりを良く知っている親友はそれがどれほどの想いであるかを理解していた。
だからこそ、ヴォルフは王に聞いたのだ。
ベルナロッサの長い睫がわずかに伏せられる。
___まだ約束の時ではない。
その口元に、かすかな自嘲を含んだ笑みが浮かんですぐ消えた。
ヴォルフはそれ以上の追求をあきらめ、短くため息をつくと話題を変えた。
「で、レオン。____どうするつもりなんだ?」
ラルフィリアの王族は聖数の12の年をもって常人の1年に相当し、新しい名を王より賜る習慣があった。
“孤独(レオン)”は王の数えて7番目の名前である。
王都への帰路の途中、たまたまこのミズィカの噂が二人の耳に入った。
途端、王は迷うことなくきびすを返し、王都とは逆の方向に向かって歩き出したのだ。
目的は火を見るより明らかだった。
「魚の棲家を探す。まずはそれからだ」
そう言うと、レオンは、丁度キールを運んできたマックにためらわず噂話を切り出した。

【第2章 噂U 『英雄フォルス』】
月船湖に出没する殺人魚に対する“対策本部”は、港にプライベート・ベイをもつ町長の屋敷におかれていた。
犠牲者はこの半月で6人。
いずれも入り江で遊んでいた若い男女だという。
最初の犠牲者はマリス=フォールダという22歳の女性だった。
マリスは、妹のリリスといっしょに入り江近くを散歩中、突然巨大な魚に襲われ、あっという間に湖中へ引きずり込まれて消息を絶った。
次の日、バラバラになった彼女の体の一部が発見され死亡が確認されたのである。
目前で姉を奪われ惨殺されたリリスは、事件以来一歩も外へ出ようとはせず、部屋に閉じこもったきりだという。
「とにかく、一刻の猶予もならない!このままでは犠牲者が増えるばかりだ。我々は、町の平和を取り戻すためにも、死にもの狂いで奴と戦わねばならないのだ!」
屋敷の大広間に集まった人々の中心で、一人の若者が拳を握り熱っぽく叫んでいる。
ミズィカの町長、アボール=グランデの一人息子、フォルス=グランデだった。
田舎町では手に入るはずのない、流行のアクセサリーが腕や腰で光っている。
均整のとれた肉体は、十分に他人の目を計算して整えられたものだろう。
やがて父の後を継いで町の指導者になってゆくだろう彼の熱弁に、集まった者たちは(ごく一部を除いて)感銘をうけていた。
資産家の町長は、事件の直後、殺人魚に多額の賞金をかけた。それを目あてにミズィカにやってきた漁師やハンターが、にわか編成の討伐隊として組織されている。
フォルスを中心とした町の青年団以外は、単独のグループが全部で4つ。
その中に、レオンとヴォルフの姿があった。
グループにはそれぞれ頑丈な船が貸し出され、屋敷の桟橋から湖に漕ぎ出すことが出来た。
「それでは、みんなの健闘を期待する!」
フォルスの言葉に、一同が船着場に向かおうとする中レオンとヴォルフは屋敷の外に出るため反対側の扉に歩き出した。
その様子に気づいたフォルスは、声高に二人の背中に話しかける。
「どうした、怖気づいたのか?」
レオンは、ふと足を止めわずかに振り向くと、何の気負いもない声で応じた。
「探す相手の顔を知らないのでな。目撃者に人相を聞いてからでも遅くはあるまい」
途端、フォルスの顔から余裕の笑みが消える。
「リリスに会いに行くつもりなら止めてもらおう!」
青年の声に含まれた怒気の強さに、レオンとヴォルフは立ち止まり後ろを振り返った。
「リリスはボクの大切な婚約者だ!!」
日に焼けた逞しい青年は、拳を握りしめ怒りに肩を震わせている。
「これ以上彼女を苦しめるのはボクが許さない。彼女は…あの日のショックで口がきけなくなったんだ」
とりまきに近い青年団の若者たちが心配げにフォルスの肩をたたく。
彼らにとってフォルスは今、フィアンセを不幸に陥れた怪物に立ち向かう英雄だった。
「では、なおさら会わせてもらいたい」
吟遊詩人は静かに言った。
「何だと!?」
気色ばむ若者たちをさとすように、今度はフォルスが片目をつぶってみせる。
「見てのとおり、奴は言葉を操るのが生業だ。その娘が声を失っているなら、それを取り戻すことができるだろう。あんたにとっても悪い話ではあるまい」
ヴォルフの言葉にフォルスは一瞬ためらったが、それ以上の反撃はしなかった。
そして、深くため息をつくと顔を上げてゆっくりとレオンを見る。
「わかった。リリスのところに案内しよう。彼女を…助けてくれ」
その、やや灰色がかった緑色の瞳は、涙に潤んでいた。




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